自叙伝記196

2017/10/07

人間の「あべこべ」が意味するもの

 

 そしてこの人間のあべこべと言う概念、あるいはさかしまと言う意味、実はこれをつかむことが彼等の本則を知ることなのであるが、非常にこれが難しく、言い換えれば人間が知るような論理学や科学の世界、物理の世界では現在このことは理解がされていない。

 これは神理学的に言うと、「日と相対せぬ影」という概念、物理論理になるが、厳密に言うと「逆宇宙」「逆地球」などの概念となる。

 

基本原則は「利益」が「無駄」となり 「有効」が「有害」に転化する法則

 

 そしてこの概念を知ることは非常に難解である。例えば単純に言うと、誰かが道端で歩いていて、財布から5000円でも落としてしまった。これは普通に考えるとその人にとっての5000円は有効で有益なものである。であるからこの場合、その人が5000円を落としたら、その単に5000円損失した、ということになる。

 つまりその人は5000円損したのだ。簡単に言うと「利益の反対」は、無利益で、あるいは無駄なものととらえやすい。また「有効」の逆は「無効」なものであると。もしくは有益の反対は無益などととらえやすいがこれは違う。

 厳密に言うと、有益の「あべこべ」は有害であり、有益の逆も有害となる。だから人が単に500円落としたとしたら、それは5000円損したことにはなるが、その5000円が「有害」になった、とは言わない。つまり「あべこべ」「逆思想」とは、単に無駄であるとか無益になると言うこととも違うのである。

 

「あべこべ」とは 物事が「さかしま」になることだ

 

 そして人間のあべこべ、とはどういう意味かと言うと、厳密にはその、その人の5000円が、有効から有害に転換することを意味する。

 しかし人間5000円手元に持っていて、その5000円が有効なものから有害なものに変わると言うことは通常の世界ではあり得ない。つまり何らかの「第三の力」がその「空間?」に働かないと、まず宇宙ではそういう現象は起き得ないのである。つまり第三者的な力、他力と言うものが存在しない限りは。

 そして例えば、これは私が体験したことであるが、例えばその人が、自分の室内にいるとしよう。そしてその人は毎日夜8時ごろに風呂に入っているとする。

 であるから、7:30分には、その自分の部屋を出てその風呂に水をいれて風呂を沸かすわけである。

 であれば、風呂のボイラーをいれてから、風呂にはいれるようになるまで、つまり風呂が沸くまではだいたい30分くらいかかるものだとしよう。てことはその人は「8:00」までには風呂に入る計画を立てているから、その計画の通りにするのには30分早めの、7:30分には行動して風呂を沸かしに行かなければいけない。

 実はここに「空間」、つまり四次元、思考が存在していて、その30分早めの7:30というのは、「空間」、つまりその計画である「8:00に風呂に入る」という「空間」に生じた、意志、つまり思考だ。

 彼等は実はすべてこの人間の「意志」「計画」を憎んでおり、それに腹を立てる他種、つまりエイリアン、宇宙人(爬虫類)である。

 であるから彼らがそこに働くと、まず「あべこべ現象」と言うものが発生する。この場合、一体どういう現象が起きるか。

 その人は、8:00に風呂に入るために7:30には行動を起こして、風呂場まで行って水をいれた。そして風呂が沸くのはだいたい8:00だ。

 そしてその間、中間には、「まず30分が存在している」。つまり風呂が沸くまでの時間である。この30分とは自分が風呂に入るまでに、もしくは風呂にはいれるようになるまでにある余分な時間とも言えよう。換言すれば「無駄」になる時間、「手間」になる時間だ。その時間をどう有効に使うかは人それぞれだが、その人は、8:00には風呂に入る予定をしているから、7:55分ごろには、自分の室内を出るから、室内のファンフィーターなども切った。つまり風呂に入りに行くから、自分の室内の無駄となる石油ファンヒーターのスイッチを切ったわけだ。もちろん室内はそれをつけていなければ寒いからつけているが、普通に考えれば、その風呂に入っている時間、そのフィーターがついたままでは、そのストーブは意味がない、無駄になる。だから、風呂に入っている間は、消しておく。と言うのはあらゆる物事を処理して無駄になるもを省いているわけだ。

 

 

「あべこべ」とは有益 有効が 有害になる姿

 

 この場合、その人は、風呂の水はだいたい30分でわくから、8:00にいけばちょうど風呂に入れるわけである。風呂の水がわいているわけである。

 であるから、8:00になることを見計らって自分の室内のストーブを切って、その風呂場まで向かったとしよう。

 そしてこの場合でも、単にいざ8:00になって風呂場に行ってみたけど、まずボイラーなどのスイッチが入れ忘れていて、風呂が沸いていなかった。というのであれば、「やり直し」というものが発生しただけである。

 だが、ここで考えなければならぬのは、その人の室内には、寒い室内を暖めるストーブがある。その「ストーブのスイッチを切る」ということは、まず何を意味しているかが重大なのである。

 ストーブは自分の室内を暖めているからその人にとっては「有益」なものである。そのストーブのスイッチを切る、自分で切ると言うことは、その暖めている部屋を寒くしてしまうことだから、「損失」、あるいは「損害」に該当する。けれども、この場合、8:00にはその人は、風呂に入りに行くからその風呂に入っている間、1時間とか2時間は、その自分の部屋にいないものだとしたときに、そのストーブのスイッチを切る、と言う行為は、同時に灯油代や電気代の無駄が省かているわけだから、「有効」「有益」に属した行為である。なぜなら、その時間帯は本人は自分の部屋にはいないわけだから、その部屋のストーブを切っても、「有害」にはならないのである。

 そしてその人が、いざその風呂に入りに行くために、その自分の室内のストーブを切って、風呂場に行ったとしよう。ところが彼等はここに潜んでいて、すべてを「あべこべ」にしてしまうのだ。

 あべこべにしてしまうと言うことは、その台無しにするとか、無効にするとか無駄になることとかの意味とも違う。つまりこの場合、もし仮にその人が風呂場まで行っても、通常は30分でわくお湯が、その風呂の水がわいていなかったとする。であれば、ボイラーの調整が悪かったとか、原因があるのだろうが、やり直しと言うものだけが起きるのである。そしてこの場合、もしその人が自分の室内のストーブを切っていなければそれでいいのだが、その人が、「自分の室内のストーブを切って」、風呂場に向かったところにすべての「原理」が隠されているのである。

 つまりその人は、暖めている室内のストーブを切って、その風呂場に向かった。と言うことは自分の部屋は寒くなっている。けれどもそれは有害でなく有効なのだ。なぜならその間、自分は部屋にいないからだ。だからストーブを切った。だが、その人はその風呂に入って自分の部屋にいないときに、そのストーブを切ったと言う行為は「有効」になるのだ。即ち、その人がいざ8:00に風呂場に行っても、もし風呂が沸いていなくて入れない状態であれば、「やり直し」というか計画がそこで狂ってしまうが、同時に、自分自身がとった「ストーブのスイッチを切った」という有益な行動が、あべこべになっていることがわかるだろうか。つまりそのストーブを切った、と言う自分の行為が、その「計画のズレ」により、反対に、それで温まっていた室内が寒くなっているわけだから、自分がとった「有益な行動」が「あべこべに」、自分に「有害」になる現象。そういう現象。またそういう原理。これがいわば、通常人間が知るような、人間に起きるような、又は体験するようなものと、まったく違うのである。

 

風呂に入れる時間は20分延期され、その人は寒くなった室内にいることになる

 

 つまりその人は自分のとった有益な行動、室内のストーブを切ると言う行動が、反対に「有害」な行為になってしまっているのだ。つまり物事がさかしまになっているのである。

 つまりその人は自分の思考で計画したとおりに進んでいれば、つまり工程通りに言っていれば、何の問題もなく、有益だけが存在した。つまり風呂に入れて、その入っている間の自分の部屋には誰もいないから、つまり暖めておく必要もないから、ストーブを切っておけば天気代も灯油代も無駄にならないと言う有益である。

 だが、彼等はこのように、人間のあらゆる工程に狂いをもたらすことはもちろんだが、それにもまして、通常ない原理、このような「あべこべ現象」と言うものを引き起こす。つまり彼等はこの場合、その風呂が正規の計画通りに8:00にわかないように、この宇宙では活動して、栗を生じさせる存在だと言うことだ。

 

彼等は「逆世界」にいる 逆世界の物体だ

 

 そして彼等正体不明のエイリアンが活動して人間に働きかけると、いわば通常は発生しないような現象、出来事、などが発生すると言うことだ。その場合でも今まで行ったように単なる自然的な現象によって生じる勘違いや物忘れと言う現象とも、彼らが引き起こすものはまったく異なっている。わかりやすく言うと、自然的に発生するものでなく、他的というか他の外部の働きかけによって発生する彼等の引き起こす現象は、通常の人間に自然に発生る例えば病気とか物忘れ、老化によるものとか、その人自体の知性の脳、思考に原因がないのに、いわば他の作用で発生する現象だと言うことだ。

 

 

彼等の内部は恐るべきか 逆宇宙であり銀河系の逆の法則になっている

 

 そして彼等の内部は厳密に言うと、この宇宙の逆であり世界の逆、銀河系の逆の法則でありながら、また同時にその逆がバラバラになってめちゃめちゃに構成されるもの、と言える。

 つまり「基本原則は逆」だが、本質は「バラバラ」というもので、「逆の概念とバラバラと言う概念」の二つから構成されている。

 

彼等の基本原理は驚くなかれ 反対だ 「あべこべ」である 「さかしまで」ある

 

 彼等の中身を最もわかりやすくするために簡潔な例をだすが、例えば人間が、歩いていて、つまずいて、前の通行人にぶつかったとしよう。であれば、この宇宙の概念と言うか法則で言えば、その人は「すいませんでした」などと発言する。これは一つのケースだが、もちろんそれ以外の例のあるかもしれないが、「あべこべ」の原理で構成される彼等の中身は、まずその基本的な銀河系の構築になっているものではない。

 つまり彼等は、このあべこべであるから、初めに「すいませんでした」がきて、次に、通行人にぶつかる、と言う原理で彼らが実は構成される。

 明らかに「世界が逆」なのである。宇宙が逆になった法則で存在するものが彼らだ。

 

人間は「現実」から「観念」をうむが、彼等は「観念」から「現実」を生みだす

 

 つまり、その人はまず第一になぜ謝ったのだろうか?それは通行人にぶつかってしまったという「現実」が生じたために、その現実によって、あやまるという行為が発生したのだ。これはもしその現実がなければ、当然「あやまる」と言う行為もそこには存在しないものが人間だ。

 つまり、通りすがりの通行人に、「すいませんでした」と謝る人間などはこの世界にはいないだろう。その人に迷惑を与えたという現実がない限りは。

 これは実は人間が「現実世界に生きている存在」であることを裏付けていて、ここに人間の法則と言うか現実世界に存在している人間の原理、三次元にいる人間の原理がある。

 以前、私は悪霊の話で、ある女性が「レストランにしようか」「スキー場」にしようか、あるいは「ヘラブナ釣り」にしようかと迷っている女性の話をした。まずその悪霊の原理を見てわかることが、実は彼等は、その現実と観念が、さかしまになっている存在だと言うことがその活動からもわかるのである。

 つまりその悪霊は女性に初めに「レストランに行ったら危ない」などと発言している。そしてヘラブナ釣りの方がキャンぺ~ン中で良いと。しかし、そこで一つある要素は、その悪霊の言っている、レストランに行ったら危ない、という現実は実はどこにも存在していないのだ。

 そしてそのことは、例えば、人間が歩いていて、つまずいて、怪我をして、「痛い」と発言したとしよう。であれば、彼等の原理と言うか宇宙では、「痛い」と発言してから、つまずいて、ころんで、歩くと言うことだ。つまり逆、あべこべである。

 ところが考えてわかるように、初めに「痛い」と言ったとしても、実は、その「痛い」の現実はどこにも存在していない。「痛い」は、「ころんだ」という現実があるから発生したもの、現実から生じたものであって、これがあべこべになると言うことは、「痛い」という発言がそこにあっても、その痛いの現実はないということになる。

 

彼等の人間への働き掛けは「不安」である

 

 そして悪霊、つまりそのエイリアンと言うものは、具体的にはこのように、「あべこべの原理」で存在し、現実世界、三次元の人間にはたらかけている。

 つまり簡潔に表すと、悪霊は人間の「脳の中で」何を念じて働きかけているか。この場合、「痛い」「痛い」「痛い」と働きかける。ところが三次元の表の世界では、「痛い」現実なんかはどこにも存在していない。つまり悪霊の言っている「現実」は実は現実世界にはないからだ。 

 しかし、人間の頭や耳の中で、痛い、痛いと耳打ちさせている彼等は、これは簡単な極端な例であるが、その人は、「痛い?」「痛い?」「痛い?」、何か自分は怪我でもしてしまうのではないか?という不安感を引き起こす原理に通じてゆき、そしてその人間は実際にはころんでもいないし、何か怪我をするようなことがどこかにあるわけでもない。ただしその悪霊の働きかけて、そういう怪我をするのか?するのでないか?したのでないか?と極端思ってしまう、迷ってしまうと、悪霊はその時ばかりがチャンスと、実際にその人間の通路に石を置いたりして、転ばせてしまうのである。

 

なぜ人間は低級霊や動物霊に操られてしまうのか

 

 例えば以前言ったその保険会社の女性の例をとろう。その女性はとりわけ悪霊の存在も知らない女性だと言ったが、ここではその悪霊やその霊的なことを信じて、そのスピリチャル的な思想をもっているような女性だとする。

 すると、悪霊はその人に「レストランに行くと危ない」初めに言った。しかし、実はその時点では、現実的にはそのレストランに行くとなぜ危ないのか、と言う現実はどこにも存在していない。

 そしてヘラブナ釣りに行くと良いというのは、その女性がやはり心の中で、そのヘラブナ釣りは明日がキャンぺ~ンだと思っているから、悪霊のそれを反射して、ヘラブナ釣りはキャンペン中だから行った方がいいと、言っているのである。実際に悪霊と言うものは、であるから、例えばその女性がレストランに行くと、何か危ない目にあうとかそういうことを予見して、見通して発言している存在でもなんでもない。

 だがその女性はそこで、仮にその悪霊の声を聞いて、そのレストランに行ったとしよう。するとこの場合、本当にレストランに行くと、危ない目にあうことが多いのである。何でかと言うと、まず第一悪霊は人間の脳内に働く存在と、人体化して実体化し社会に潜入する二つのタイプから勢力されていると言ったが、彼等は共に活動している存在であるから、もしその女性がレストランに行くと、例えばその悪霊が人体化したものなどが、その他の客と暴動、喧嘩を引き起こして、その女性、家族はそれに巻き込まれそうになって、怪我をしそうになったとする。

 すると、その女性は、その自分に聞こえた悪霊の言っていることは「本当だったのではないか?」と思い違いをしてしまうと言うことだ。

 そしてそういう式に彼等は自分の存在を相手に対しての守護者や守り人、聖霊や守護霊、先祖の霊などと思い込ませていく場合が多いのである。